三尋木咏・回顧録覚書-9- 「小鍛治健夜」

Date:2019年6月17日(月)

1 私の人生の半分は「小鍛治健夜」で出来ていると言っても過言ではない。

 嘘。さすがにそんな寂しい人生は送ってないよ。いまのところは人生の1割か2割ぐらいを占めている人だとは思うけど。結婚とかしたら伴侶もしくは子供が人生の半分とか言い始めるかもしれんけどね。知らんけど。

 高校三年生になって、私は小鍛治健夜に興味を持ち始めた。

 当時の小鍛治プロに対する世間の評価は、プロ三年目の若手ながら「日本で一番強い無敗のプロ」というものだった。世界戦でも破竹の勢いで、世界ランク1位も夢じゃない、荒川憩を超える逸材だって騒がれていた。

 当時は超生意気だった――いまも生意気って言われることあるけど――私は同じ無敗の雀士として小鍛治健夜に興味を持っていた。無敗って肩書を奪ってやりたくってね。

 裏プロとしてのコネを使って、その辺で適当に卓を囲めるように取り計らってもらうということは可能だった。ただ、そんな非公式の試合で負けさせることが出来ても世間には伝わらない。

 あの頃はプロになって表のプロとして小鍛治プロと雌雄を決するとか、「まどろっこしい」って考えてたから結局はコネ使って、プロにならず小鍛治プロと打てる公式の場を設けることにした。

 2005年5月。有明の東京国際展示場で「なぜか急に開催されることになった」プロアマ親善試合で私は小鍛治プロと対局する機会を得た。対局前は本当に心躍ったよ、いまから無敗の経歴に傷をつけてやれる、なんて甘い考えでね。

 結果、無敗の経歴に傷がついたのは私の方だった。

 いつも通り、無心で麻雀だけに集中して打ったんだけどねぇ……。

 初めて負けたのが悔しくて悔しくて、ここでようやく表のプロになることを決意したよ。裏プロの方はやめてね。別に引き止められたり、殺されかけたりは無かったよ。爺さんに「まあいつでも戻ってくるといい」って言われたぐらいだったかなぁ……ただ、裏プロ時代と組合のことを口外したら首が飛びかねないから、その辺は本に書けない出来事ではあるんだけど。

 その年のインターハイで私はそれなりに活躍して、プロ行きを決めた。

 プロ入り当初から現在に至るまで横浜ロードスターズは居心地の良いチームだ。

 チームメイトは良い人達ばっかりで、ひねてる私にも優しく接してくれた。……いや、いまにして思うと愛玩動物とか自分の子供みたいに可愛がられてただけの気がする。

 まあ、ほんと良いチームだよ。これからも末永いお付き合い続けたいほど、大好きなチーム。

 当時の監督がプロ麻雀界屈指の危険人物だったことを除けば。

記事まとめ(日誌系)

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