三尋木咏・回顧録覚書-15- 「三尋木咏の後悔」

Date:2019年6月17日(月)

1 プロ二年目の年を迎えるにあたって、私は監督に一つ相談事をした。

 相談の内容は「何でも指示に従うから、今年は優勝出来るような采配にしてほしい」という、ごく当たり前のもの。

 それを聞いた監督は珍しく変なことは言わずに、苦笑しつつ「咏ちゃんがあんまり強い人と打てなくなるかもよ?」と言ってきた。自分から言い出したことだし、チームの勝利をより強く願うきっかけもあったから指示に従うことにした。

 二年目から取り始めた戦略は至ってシンプルで、「三尋木咏がとにかく稼ぐ」というものだった。

 ただ私が稼ぐことを意識して打つのではなく、100%当たる監督の采配読みを用いつつ、対戦相手の急所――もっとも稼ぎやすい配置に私をぶつけるというものだった。一年目でも似たようなことをしなかったわけでは無かったけど、あれほどまでに徹底してやったのはあの年だけだったかもしれない。

 監督の読みが冴え渡っていたおかげで、私は面白いほど稼げたし、相手のエースが出てくる前に対局を終わらせることも多々あった。横浜ロードスターズはシーズン開始当初から絶好調で、当時日本最強のチームであった恵比寿にもシーズンを通して勝ち越すほどだった。

 当然、恵比寿にいた小鍛治プロには勝てなかったんだけど、チームとしての戦いに関しては私達に軍配が上がっていた。対小鍛治プロにはとにかく早上がりに徹して次に回すことを意識し、監督の采配で絶好のポジションに配置された私が小鍛治プロが稼いだ以上に稼ぎまくるようにした。

 まあ、恵比寿に勝ち越せたのは前の年で熊倉監督や主要な選手をフロントがクビにして戦力低下してたって事情もあったんだけどね。

 小鍛治プロは一人でよく頑張ってたと思うよ……チーム内の空気悪かったみたいだし、私が小鍛治プロと同じ状況に置かれてたとしたら、小鍛治プロみたいに頑張れなかったと思う。小鍛治プロも味方がいなかったわけじゃないんだけどね。

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