三尋木咏・回顧録覚書-7- 「御用達」

Date:2019年6月17日(月)

1 私が身を投じることになった世界のことを話すうえで、いまから300年ほど昔の話をしないといけないだろう。

 時は正徳五年。

 世は太平なれど、その裏では商人達が血を血で洗う闘争を繰り返していた時代。

 争いの原因は御用商人の最上位、「御用達」の地位。

 貨幣鋳造、呉服の調達など、幕府への物品調達を独占的することができるその特権は、商人にとって喉から手が出るほど欲しいものだったらしい。

 御用達の地位を巡り、商人たちは脅迫、謀略、果てには暗殺……ありとあらゆる手を使い、商売敵を蹴落としていった。その中には私のご先祖様もいたらしい。

 最初は単に地位を手に入れるためのものだったものの、その争いの渦中で更なる禍根が生まれ、憎しみの連鎖が築かれていき、巨大化した暴力の連鎖は当事者たる商人達ですら制御できないものになりかけていた。

 それに歯止めをかけたのが徳川幕府七代将軍。

 彼は禍根の中心であった商人達を呼び出し、「争いを収めたいなら、正々堂々と雌雄を決すがよい」などという、えらくシンプルな解決方法を示した。

 ただ、彼らの中にそんな単純な結論に至った者は一人としておらず、当時5歳の将軍の慈眼に感服し、そのようにするよう取り計らい始めたらしい。

 将軍の命により、商人達は組合を結成した。利害が対立する場合、組合を通して勝負の場を設け、勝負の結果は絶対としてその他一切の争いを厳格に禁じた。

 これは徳川幕府が倒れた後、現代になっても未だに商人間に継承されているルールであり、主に大企業間で組合を通しての争い事を収める手段として勝負が行われている。もちろん、秘密裏に。

 これはそれなりに力と金を持った者同士が戦うだけに、一度の勝負で相当な金額が動くのも珍しくなく、没落しかけていた我がご先祖様もこれでかなり分の悪い勝負を制して家を立て直したらしい。

 三尋木家――というか、三尋木家が経営する企業も、いまなおこの組合に属し、勝負を続けている。

 まだ幼かった私もこの勝負に加担することになったんだけど、私が加担したのは三尋木家ではなく、「自分で戦って勝ち取る」という道を示してくれた爺さんが代表を務める銀行だった。

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