三尋木咏・回顧録覚書-8- 「無心」

Date:2019年6月17日(月)

1 私は無敗の代打ちだった。

 私と組合の名誉のために書いておくと、私と打つことになった人達が弱かったわけじゃない。強さはピンキリだったけど、現在のトッププロクラスの人もゴロゴロいたからね。昔は組合の――便宜上、裏プロとしておこうか――裏プロの方が表のプロより強い人が多かったらしい。

 ただ、両方とも経験した私の目から見ると上位30人同士を戦わせたら今なら表のプロが勝つと思う。2002年、あるいは2003年から停滞気味だったプロ麻雀界が活性化していったらしーから。国内無敗の人が出てきたりした影響でね。

 裏プロには強い人も結構いたけど、「こいつ明らかに見えちゃダメなものが見えてるだろ……」って感じの人もいた。対局中におもむろに注射器出して腕にプスーッと刺してる人とかいたね。

 自分にとって不利な結果が迫ってると匂いでわかる人とか、七種の打ち筋を使い分ける人とか、他家の手を遅くしつつ自分は高い手がコンスタンスに入ってくる人とか、親番だと和了まで最短で有効牌持ってくる人とかいたね。中には私に勝つために子供産んで、その子に倒させると言った人もいたねぃ。

 強い人はいたけど、私は代打ち稼業では負け無しだった。

 結構なお金が動く勝負だけに、それ嗅ぎつけてやってくる業者もいた。代表例を挙げれば強い打ち手を引っ張ってきて企業専属の代打ちとして契約させにくる代理人みたいなことやってるとこもあったかな。みたいというか、実際に表で代理人事務所やってるとこなんだけど。

 爺さんのとこで代打ちしてる時はそれなりに強い人引っ張ってきてくれるから好きだったけど、爺さんのとこ離れてプロになったら半年に一回ぐらいは仕事の話持ってくるからウザいことこのうえない。プロになってから何度かあいつらのおかげで頭痛くなる出来事があったんだけど、それはまた後の話。

 高校三年生になるまで代打ち稼業は続けてた。

 対局する時は無心で、余計なことは考えず、麻雀のことだけ考えて打っていた。

 そうしている限り、私は無敗の代打ちだった。 

 高校三年生になって、初めて麻雀で敗北するときまでは。
 

記事まとめ(日誌系)


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