三尋木咏・回顧録覚書-2- 「暴力」

Date:2019年6月17日(月)

1 私は横浜の病院で生まれた。

 いまでこそチンチクリンだけど、生まれた当時は健康優良児だったみたいだよ。知らんけど。自分で言ってて傷ついたわ。昔は牛乳とか、ぶら下がり健康器とか試したけど……もう諦めてる。

 まあ、自虐はこれぐらいにしておこう。

 私はかなり裕福な家庭に生まれた。一応は世間一般で言うところの「お嬢様」だったんじゃないかな。

 うちは元をたどると武士の家系だったらしい。ただ、それを廃業して京都で商人やってたらエラーイ人がヤバーイことになったから金の力で助けてあげたところ、厚遇されて海外貿易で巨万の富を築いたんだとか。まあ、何とか生かしたエラーイ人の死因に絡んでる家系でもあるんだけどねぃ。

 その後は貿易出来なくなったりもしたみたいだけど、それなりにやっていけてたみたい。ただ、ずっと好調だったわけではなく、明治維新の頃には立ち行かなくなりかけてたみたい。

 本来ならそこで廃業しててもおかしくなかったんだけど、当時のご先祖様が頑張ってくれたので今でも存続出来てる。

 ちなみに解決方法は「暴力」だったんだけど、それに関しては後述ということで。

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